―――さあさあ今夜も無礼講。
―――獄卒衆すら巻き込んで、
―――宴の瀬にて成り下がるは、
―――純無垢故質の悪い、
―――悪逆非道にございます。
『結ンデ開イテ羅刹ト骸』
の冒頭の一説。狐の面をかぶった胡散臭い男が、真っ黒い背景と共に語る所からこの曲は始まります。
この曲は私がリンネに続いて2曲目に聞いたハチの曲でした。
悍ましさすら感じさせるBGM。不気味で奇妙な色彩の線画。
恐ろしく奇怪。だというのに、何故かこの曲は私たちを引き込んで離しません。
独特過ぎる世界観で語られる、ハチの頭の中。
それを今回は、覗いていきたいと思います。
―――さあさあ。今夜も身分を忘れて酒の席を楽しみましょう。
―――どうしようもない屑すら巻き込んで
―――宴の終わりになってしまうモノは
―――純粋で純真であるが故に逆に質の悪い
―――悪逆非道なのでございます。
まずはじめにこの曲の解釈について
最初に言っておきますが、この曲は
魑魅魍魎等の話をしているホラーテイストの歌ではない
と解釈しているということをここに断っておきます。
例えば作中にこんな歌詞があります。
・猫は開けた襖を締めていく
普通猫は開けた襖や扉等を閉めることはしませんが、明けた襖を閉めていく猫は化け猫である、という話があります。
そこから転じてこの歌はホラーテイストの、魑魅魍魎をイメージした歌なんだ!と解釈する流れがあるようですが、
当ブログではその解釈を一切しておりませんのでご注意を。
ではこの曲のテーマは、歌っていることは一体何か
この曲には一貫して
黒い着物を着た女の子
が出てきます。「お嬢さん」「少女」などと呼ばれている女の子です。
ちょっときつい解釈になりますが、この歌は
昔の時代の、まだ年端もゆかない遊女(いわゆる風俗嬢)のことをテーマにした歌
ではないか、と推測・考察できます。
何故遊女の歌だと考察できるのか
理由1:女の子と「遊び」の意味
「遊び」という言葉は、子供が普通に使う言葉であるにもかかわらず、実は全く違う意味でも使われる言葉でもあります。
断言は避けますが、性的な意味で使うことが夜の世界では多々ありますよね。
そして今回はたぶんそっち意味で遊ぶが使われています。
でもこの意味の「遊ぶ」と解釈したのは何故か。
それが理由2以降になります。
理由2:「花いちもんめ」「次々と売られる可愛子ちゃん」
花いちもんめを子供ながらに無邪気にやった人が多いと思いますが、
しかしこの歌、実はかなり恐ろしい歌だとご存知でしょうか?
まず前提として「花」とは女の子のことを指します。
そして一匁(いちもんめ)とは 江戸時代では両の1/10に相当する分量単位のことを指します。
なので
女の子を一匁という安い額で手に入れられて(交渉や競りに勝って)嬉しい
女の子を一匁という安い学で手放してしまい(競りや交渉に負けて)悔しい
ということを歌った、
女の子を人身売買した歌が花いちもんめであるという解釈があるのです。
多分この解釈ははずれじゃないでしょう。童話とか昔話とかって残酷ですから。
理由3:「子作りしようか」
終盤になりますが、艶やかな表情をしたミクが描写されながら、そう歌われている一節があります。
流石にこれをそれ以外の意味でとるのは不可能であり、この考察の根拠としています。
当然全く違う可能性もありますが、当ブログではこの言葉を根拠に、そうであると仮定して考察していこうと思います。
歌詞の解釈
私なりの解釈を述べていますが、大本はこちらを参考にしているので、是非一読してみてください。
1番の歌詞考察
・片足無くした猫が笑う 「ソコ行ク御嬢サン遊ビマショ」
⇒猫=女衒(女の子を人身売買することを生業とする奴ら)のことを指しているという解釈が出来ます。
・首輪に繋がる赤い紐は 片足の代わりになっちゃいない
⇒赤い紐は借金でしょう。
片足無くして借金してまで何かをしようとしたけど、足の代わりになるような成果は得られず、女衒(ぜげん)に落ちたという。
・や や や や 嫌 嫌 嫌
⇒女の子の悲鳴。
・列成す卒塔婆(そとば)の群が歌う 「ソコ行ク御嬢サン踊リマショ」
⇒卒塔婆とは墓によくある木の棒を指します。
生きているのか死んでいるのか分からないような、そんな男どもが女の子に「遊びましょう」という訳です。
・足元密かに咲いた花は しかめっ面しては愚痴ってる
⇒遊郭で売れなくなった年増の女性たちが、男を連れて二階に上がっていく若い女性達に対して愚痴ってる様子。
・腹を見せた鯉幟
⇒餌を食べ過ぎた鯉は転覆することがあるそうです。それが鯉が腹を見せている状態。
転じて裕福な、腹の肥えた男が腹を見せた(裸になった、本性を現した)という意味になりそう。
・孕んだのは髑髏
⇒遊女が孕んで、その子供がどうなるかなど火を見るよりも明らかです。
孕んで直ぐに堕ろされて殺され、白骨化していく哀れな赤子のことを指しているのでしょう。
※髑髏(されこうべ、しゃれこうべ)は頭蓋骨のことを表します。しかも雨風に晒されて骨がむき出しになった頭蓋のことを指すそうです。
・やい やい 遊びに行こうか
やい やい 笑えや笑え
らい らい むすんでひらいて
らい らい 羅刹と骸
⇒結んで開いて=(股を)結んで開いて。
⇒羅刹は人を食うという悪鬼のこと。孕ませた男を指す可能性もありますが、もしかするとここで指しているのは男だけではないのかもしれません。
・一つ二つ三つで また開いて 五つ六つ七つで その手を上に
⇒四(=死)を使っていない。「その手を上に」は有名な動揺、「結んで開いて」の歌詞の一節です。
なので単にその流れで使った可能性が一番高いですが、お手上げの意味の可能性もあります。男にされて、成すがままという意味の。
・松の木には首輪で 宙ぶらりんりん 皆皆皆で 結びましょ
⇒女衒(ぜげん)が松の木(遊郭の比喩かと思われる)に借金でとらわれている様を指している。
女の子は自分のために客を呼ぶ→客が来るから女衒(ぜげん)は女を引っ張ってくる→引っ張ってこさせるために女衒(ぜげん)に首輪をつけて飼い殺しにする→そしてまたその女の子が客を呼ぶ……。
結果として皆(女の子、客、店、女衒)で女衒(ぜげん)が店に縛られ宙ぶらりんになっている状態を作ってしまっているということ。
・(下らぬ余興は手を叩き、座敷の囲炉裏に焼べ曝せ)
⇒無理な行為を強いて来たなら手を叩いて裏方を呼び、見せしめにでも囲炉裏にくべてやれ。
2番の歌詞考察
・下賤な蟒蛇墓前で逝く
⇒低俗な大酒飲みが死んだということ。
・集り出す親族争いそい
⇒財産争い勃発。
・「生前彼ト約束シタゾ」 嘯くも死人に口は無し
⇒彼が全部私にくれるといってた。と嘘をつくも、死人は何も語れない。
真実は闇の中であり、そして
・や や や や 嫌 嫌 嫌
⇒女の子は財産全部を奪われる。
・かって嬉しいはないちもんめ 次々と売られる可愛子ちゃん
⇒上で解説した通り。かわいい子は売られていく。
・最後に残るは下品な付子 誰にも知られずに泣いている
⇒かわいくない子は誰も買わない。ちなみにぶす【付子・附子】は「忌むべきもの」等の意味。
・やい やい 悪戯しようか
やい やい 踊れや踊れ
らい らい むすんでひらいて
らい らい 羅刹と骸
⇒同上。
・三つ二つ一つで 息を殺して 七つ八つ十で また結んで
⇒(痛みに耐えながら)身じろぎすらせずにまた結んで。
※またしても四(死)と九(苦)を使っていない、
・高殿(たたら)さえも耐え兼ね 火傷を背負い
⇒たたらは製鉄のさいに火力を強めるために使う鞴(ふいご)。
ふいごで火をおこすことすら耐えられずに火傷を背負うことを比喩として使っています。
恐らくは赤子が出来たせいで通常の行為すらいつも通り出来ずに体は痛みを発している、ということではないでしょうか。
・猫は開けた襖を閉めて行く
⇒猫=女衒(ぜげん)と解釈すれば、一度中に招き入れた女は逃がさない。そういった表現にも見えます。
Cメロ
・結局皆様他人事(結局皆様他人事)
⇒この世の中には不幸な子達がいっぱいいるけど。
・結局皆様他人事(結局皆様他人事)
⇒みんなみんな自分のことばかり。
・結局皆様他人事(結局皆様他人事)
⇒こんな境遇に落ちている子も、もっと酷い子もいっぱいいるけど
・他人の不幸は 知らんぷり!
⇒みんなみんな自分のことばかり!
ラストサビ
・やい やい 子作りしようか やい やい 世迷えや世迷え
⇒夜這えや夜這え。
・らい らい イロハニ惚れ惚れ
⇒色香に惚れ惚れ。
・らい らい 羅刹と骸
⇒前述のとおり。
・一つ二つ三つで また開いて 五つ六つ七つで その手を上に
⇒同じく前述
・ 鳥が泣いてしまわぬ 内にはらへら
⇒鳥が鳴く=朝。つまり朝になる前という意味。
はらへら⇒腹減ら。
腹を減らす=赤ちゃんを堕ろすということ。
・一つ二つ三つで また明日
⇒また、明日も―――
・悪鬼羅刹の如くその喉猛らせ、暴れる蟒蛇の生き血を啜る。
⇒悪鬼羅刹は人に害をなす鬼。そして蛇は時折女を表すことがあります。よって
(男は)鬼の如くその喉をならしながら、暴れる女を飼いならして上澄みを掬っていく。
・全ては移ろうので御座います。 今こうしている間にも、様々なものが。
⇒全てのものは色あせ、価値が無くなっていくのです。今、こうしている間にも色々なもの(女性を指す?)が。
・はて、何の話をしていたかな? まあ、そんな与太話は終わりにしましょう。 さあ、お手を拝借。
一つ二つ三つで また明日
まとめとこの歌のメッセージ性
さて、今回の考察記事、いかがでしたでしょうか。
ニコ動のコメントとかを見ると色々な解釈があって非常に面白いですが、私はこの説を推しています。
そしてこの歌のメッセージそれは何か。
私は
結局皆さま他人事。他人の不幸は知らんぷり。
に集約されているのではないかと思います。
遊女として身を売らなければならなくなった女の子。
その子も自分のことばかり。そして自分を売った家族も、自分を誘った女衒(ぜげん)も自分のことばかり。
売れ残ったもっとかわいそうな子のことなんて、考えちゃいないのです。
純無垢故質の悪い、
―――悪逆非道にございます。
さあ、この純粋無垢ゆえに質の悪い、悪逆非道とは誰のことでしょう。
純粋無垢故に。
そう。
「自分のことだと気づいていないが故に」悪逆非道である訳です。
つまりこの曲で言うところの純粋無垢ゆえ質の悪い悪逆非道はもしかすると―――
毎日、鏡に映っているのかもしれません。
そんな、歌詞に私は見えました。あなたはどんな解釈を付けますか?
さて、長くなりましたがこの辺りで失礼をば!
他の考察記事もよければ見てやってくださいね。
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